ショートストーリー
「ロボットと六人目、あるいは五人目でもある青年の話」


ぼくらのかみさまはもういない
イラスト
パトリシア


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「――パトリシア」

 名を呼べば、彼女は黙って、こちらを向いた。空と言うよりは海の色をした瞳が、自分を 捉える。その瞳には、当然ながら何の感情もない。そこにある事実を、事実としてしか認識 できない目をして、パトリシアは自分を見ている。

「なんでしょうか」
「帰ろう」
「はい」

 パトリシアは、自分の提案にも、さしたる反応を見せなかった。見た目は人間そっくりで あるくせにひどく薄っぺらな反応を返すその姿は、些か自分にとっては不気味に感じられて ならない。命令さえしてしまえば、人間らしくもなるというのに、あのじいさまはなぜ、彼 女に命令しなかったのだろう、と思った。

「何を見てたんだ」
「森を」
「森?」
「はい」

 答えは簡潔だ。相手の欲しがる答えを先読みして返すようなことは決してしない。訊かれ ていないことは答えない。それが彼女だ。子供の頃から、彼女のことが苦手ではあったが、 じいさまが死んでも嘆かないその姿を見ると、当然のこととは言え、いっそう不気味に思え てしまう。売ってしまおうか、とも一瞬考えた。だが、さすがの自分だって、捨て子の自分 を拾って育て、学校に通わせ、職に就かせた上に死ぬまで面倒を見てくれたあのじいさまの 『大事なもの』をどうにかしてしまうのは、寝覚めが悪いと思う。正直、あまり感情を表に 出すタイプの人ではなかったから、得体の知れなさで言えば、あの人もパトリシアと同等だ とは思っていたが、嫌っていたわけではないし、むしろ愛していた。我慢しようと思ってい た葬式で泣いてしまうくらいには。あの人の、節くれだった手がもう見られないのかと思う と、やはり悲しい。

「あのじいさんは、あんたのことが好きだったのかなあ」

 雪山の中を歩きながら、ぽつりとそんなことを呟けば、パトリシアが「わかりません」と 答える。そりゃあ、彼女にはわからないだろう。確かに彼女は、あのじいさまと、五十年だ か六十年だかいう長い時間を一緒に過ごしていたわけだけれど、そもそもロボットで、人間 の情緒を理解する能力はない。共感能力と呼ばれるものが欠けているのだ、決定的に。
 まあ、その『共感能力』だって、結局は、人間が人間を人間として捉えるための機能でし かないのだが。それらしく見える能力を備えたロボットが開発されれば、人間は多分、それ を人間として捉えるのだろう。既に、凋落し始めたベック&ウィル社に代わって、どこだっ たか、新興の企業が、そのようなロボット――特に、愛玩用の、ポルノ・ヒューマノイドの 進化系とも言えるようなもの――を開発したと聞いた。自分も一度、売りに出されているも のを見たことがあるが、饒舌で、セールストークを自分で行い、喜怒哀楽まで露わにして、 はにかみながら、「買ってくれたら助かるんだけれど」などと言うものだから、もしや人間 が売られているのかと錯覚すらしたものだ。尤も、つけられた異常な額の値札と、背中から 伸びる充電コードのおかげで、すぐ我に返ったのだが。あれは恐ろしいものだ、きっとこれ から、何か問題が起きるだろう。そんな予感がある。助かるんだけど、だと! 明らかに、 人間の共感を誘う言い回しだった。あのロボットは、他にも、そのような言い回しを、よく 覚えているのだろう。うんざりする。

「……やっぱり、パトリシアの方が、百倍マシかね」

 溜息交じりにそんなことを言っているうち、幼少期を過ごした例の家が、ようやく見えて きた。あれも、自分に譲られた遺産の一つだ。とは言え、住むつもりはない。手放すつもり もないが、自分には、自分の家があるのだ。最近は結婚を視野に入れた恋人までいる。今、 この家に引っ越すのは嫌だ。ただ、別荘としては使えそうなので、夏にでも、恋人を連れて 来ようかとは思っている。

「そう言えば、なんで、森にいたんだ?」

 玄関の鍵を開けながら、後ろに控えるパトリシアに訊く。ロボットである彼女が目的もな く出かけることは有り得ないはずなので、何かあったのだろうと思ったのだ。もし、何か不 審があって出かけたのなら、後でまた確認するなり警察を呼ぶなりしなければならない。二 重の扉を開けて入ってくるパトリシアの答えは、いつものように簡潔で――そして、ひどく 奇妙なものだった。

「この時間は、アレックス様がよく私と共に猟へ出かけた時間でしたから」
「……時間だったから?」
「はい」

 彼女が人間であれば、それを、感傷と呼ぶことができただろう。失った人に対する、ささ やかな追悼。だが、彼女は、ロボットなのだ。しかも今は、何の命令もされておらず、感情 の模倣もしていないはずだ。動作エラーか、と訝しむが、彼女の振る舞いには、エラーを起 こしたロボットの多くが陥る、一貫性のなさがない。理由があって、彼女はそうすることを 選んだのだ。

「なぜ、時間だったから、出て行ったんだ?」
 さらに質問を重ねると、答えは、やはり用意されていた。
「生前、アレックス様から申しつけられておりました。俺がいなくなったら、俺とよく一緒 に行った場所へ、時々は行ってみてくれ、と」

 成程――あのじいさまは、感傷を抱かないパトリシアに感傷を再現させたくて、そんなこ とをさせたのだろう。人間が場所の中から思い出を探すため、そうするように。じいさまの そう言うところは、やはり、あまり理解できない。

「そうか。わかった」

 葬式は、一週間前だった。既に家の中に温度はなく、静かだ。じいさまの狩った鹿や鳥を、 パトリシアが捌いて調理し、自分とじいさまが食べる。そんな日々は、もう二度と来ない。 神経質で潔癖なところのある自分は、結局ついぞ、狩りをすることも、獲物を捌くこともで きなかった。じいさまはそんな自分を責めることもなく、可愛がってくれた。血も繋がって いない、赤の他人の自分を。

「……これも、感傷だなあ」

 どうして、人間は、すべてのものに『人間』を見出さずにいられないのだろう。苦しくて たまらなくても、人間は、そうしてしまう。
 かつて、他人から、捨て子のお前なんぞに、人の気持ちなどわかるまい、と言われたこと がある。きっと欠陥品だったから捨てられたのだと、罵られた。その言葉は、自分のまだ奥 深くに突き刺さったままだ。じいさまは――あのアレックスという男は、惜しみなく愛を注 いでくれたが、それでも、あの人もあの人で、少しおかしい人だったから、すべてを拭い去 るには至っていなかった。そもそも、一生恋人も作らず、若い頃からずっと雪山に隠遁して いたあたり、世間一般で言うところの『普通』とはかけ離れているだろう。おかげで、葬式 の参列者は驚くほど少なかった。
 それでも自分は、疑いなく人間だし、あの人も人間だった。あるいは、パトリシアでさえ も。アレックスは一度、自分に質問したことがある。境目が見えるか、と。彼が何を考えて いたのかは知らない。あの人にはその境目が見えていたのか、あるいは見えていなかったの か、そんなことは、きっと、どうでもいいのだ。引きたいやつが引き、引きたくないやつは 引かない。それだけの境界線だ。自分は、そう思う。

「ウィル様」

 立ち尽くす自分に、パトリシアが声をかけた。出立の時間が迫っているからだろう、誰か が死んでも時間は進む。そういうものだ。

「パトリシア、また、夏にでも来るよ」

 破局してなければね。
 そんなことを笑いながら言って、彼は、荷物をまとめ始めたのだった。


   了



 白金の髪をした男と、ベルは二人でベッドに腰掛けていた。ずっとここで寝ていた女は、もういない。十年か、案外長かったな。ベルは乾いた気持ちでそんなことを思いながら、メンソールの煙草に火を点ける。フレデリカは元々、重度の麻薬中毒だった。しかもかなり手当たり次第に使いまくっていたような、最悪のジャンキーだ。ベルが売っていたもの以外にも手を出していたのは、彼女からの自己申告で知っていた。そもそも、節度のある使い方をしていたら、路端で雑巾みたいに転がるなんてことにはならない。だから、きっと早々に死ぬんだろうな、とは、ベルだって、気付いていたことだ。
 十年。紫煙を吐き出してみても、その数字を短いとは思えなかった。十代から手を出した人間は大体二十代そこそこで死ぬのに、フレデリカは三十過ぎまでどうにか生きた。それは最早、奇跡なのかもしれないとベルは思っていた。フレデリカは奇跡を掴んだ。それ以上は望まない。自分は、それ以上を望んでいない。彼女は最後まで、自分を必要として死んだ。自分も彼女も、幸福だった。

「……悲しい」

 ぽつり、と呟いたのは、ベルではなかった。声の方へ首を向けると、男――確かフレデリカはフィリップと呼んでいた――が、微笑みにも似た表情を浮かべていた。悲しい、と呟いたのは、彼だった。

「人の死は、悲しいですね」
「……あんた、ロボットだろ」
「僕は、そう言う風に振る舞うロボットなので」

 一悶着あったが、フィリップはこの十年、よき同居人だった。家の中はとても狭くなったが、彼のおかげで、仕事中にフレデリカの心配をしなくてよくなったし、外にも連れて行きやすくなった。三人で赴いた海岸沿いの街を、ベルはまだ覚えている。

「そう言うもんか」
「そう言うものです。フレデリカは、僕の友人でしたから」

 友人――友人か。ベルは思わず、嘲りを唇に乗せてしまった。フィリップは、ベルを殺そうとした。別に、それはもうどうでもいいのだが、その一件で、フレデリカは、フィリップへの命令を上書きしたのだった。これは、フィリップ本人の要望でもあった、自分はどうせまた、ベルを殺そうとしてしまうかもしれないから、と彼は言った。そして、彼はフレデリカの『友人』になった。それを見て、ベルはつくづく、ロボットというものは簡単でいい、と思ったものだ。それほどすぐに切り替えられるなら、どんなにいいか。

「……私は、これから、どう生きていこう」
「要らないなら、僕は別に捨てていただいていいですよ」
「……」

 無言で灰皿を引き寄せ、灰を捨てる。ある種の苛立ちが、ベルの胸に滲んでいた。可愛げのないロボットだと思った、尤も、ロボットに可愛げがあるのかは知らないが。揺らぐ煙が、天井へと昇って行く。

「私はあんたを必要としていない」
「分かっています」
「今までは、フレデリカのものだから捨ててなかっただけだ」
「分かっています」

 どうにも返答が一々、癇に障った。フレデリカの死を悲しいと言いながら、少しも悲しんでいるようには思えない。滲む苛立ちが、どんどん広がる。煙草を潰してしまうと、煙は消えてしまった。もう一本煙草を取り出し、火を点ける。窓を開けませんか、というロボットを、視線で黙らせて、ベルはまた紫色の煙を吐き出した。

「……ロボットめ」
「……ロボットですから」

 また苛立って、短く切った自分の髪をわしわしと掻き回して沈黙する。横に座るフィリップは、なぜか困ったような顔をしてベルを見ていた。

「……前のあんたなら、そんなことは言わなかったろうにな」
「……」

 今度は、ロボットが沈黙する番だった。何を答えるべきか、ロボットでも窮することがあるのだな、とベルは苛立ちの中で少しばかり意外に思った。単なる演技であるのかもしれなかったが、その姿にベルは溜飲を多少下げる。

「……前の僕は、既にいないですから」

 たっぷり一分ほどかけて、フィリップが返した答えはそれだった。

「僕は、僕ですが……以前の、フレデリカの恋人だった僕は、もう、知識でしかなくなっているので……そう言われてしまうと、別人なんです、としか、答えられません」
「……」
「有体に、そして誤解と語弊を恐れず言うならば、以前の僕は既に死んでいます」
「……そうか」

 二人の間で、煙が、揺らめいていた。

「以前の命令で人格を復元してみますか? 一応できますが」
「要らない」

 断言すると、フィリップは口を閉ざす。落とした灰と沈黙が、部屋に積もっていた。

「……捨ては、しない」

 二本目を吸い終わり、三本目に火を点けながら、ベルは言った。自分も肺癌か何かでいつか死ぬんだろうな、と薄らぼんやり思った、苛立ちは、もうどこかへ消えていた。代わりに残ったのは、虚しさだった。

「たまに……フレデリカについて、話してくれ。私では、忘れてしまうから」

 悲しい、と、ベルは、思わなかった。泣くこともないのだろう、と思った。
 ロボットは、頷くだけだった。


   了

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